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About MAIMAI

辻 麻衣子 Maiko Tsuji

所属クラブ 大屋スキークラブ

所属会社 若杉高原大屋スキー場

1983年1月5日 うまれ

埼玉県鴻巣市 出身

兵庫県養父市 現住

浦和学院高等学校 卒業

3歳で初めてスキーをはく。

小学生・中学生時代はアルペンスキーを経験。

18歳の時、苗場で開催されたコアX-gameの観戦をキッカケにフリースタイルスキーを始める。

22歳でフリースキー選手育成機関「白川塾」の門を叩き白川大助氏に師事して世界一を目指す。

 

2005年

Hakuba47パークコンテスト 優勝

第1回 妙高杉の原Night  優勝

4frontカップ 優勝

グラビティーセッション 3位

スパイダーAIR BATTLE 3位

 

2006年

草津ちょいなカップ 優勝

SKI AIR BATTLE Vol.6 優勝

サンガリアカップ 2位

 

2007年 世界大会に初参戦。コロラド州からユタ州までひとりで転戦した。

くまどーBIG AIR 優勝

WILLCOM CUP Slopestyle 優勝 

アースリートフェスタ ワンメイク 2位

US FREESKIING OPEN Slopestyle(アメリカ) 4位

ORAGE EUROPEAN FREESKI OPEN Slopestyle(スイス) 6位

NIPPON FREESKIING OPEN Slopestyle(日本) 7位

 

2008年  この年から各メディアに撮影・掲載されるようになる。

SPYDER AIR BATTLE 優勝

布場BIG AIR 優勝

JUMP AROUND in YUZAWA 優勝

AIR DANCE FESTIVAL in KURUMAYAMA 2位

NIPPON FREESKIING OPEN Slopestyle(日本) 2位

ORAGE EUROPEAN FREESKI OPEN Slopestyle(スイス) 8位

US FREESKIING OPEN Slopestyle(アメリカ) 12位

 

2009年  当時高難度とされた720muteグラブを武器に世界大会で結果を出すようになる。

HAKUBA SANOSAKA OPEN 優勝 ++movie

AIR DANCE FASTIVAL in 車山高原 優勝

NIPPON FREESKIING OPEN Big Air(日本) 優勝 ++movie

World Skiing Invitational Big Air(カナダ) 2位 ++movie

JUMP ARIUND in YUZAWA 2位

 

2010年 世界大会での優勝にこだわり、海外の大会を中心に参戦する。

ASPEN FREESKI OPEN Slopestyle(アメリカ) 5位

ヨーロピアンオープン直前、練習中に顔面骨折の怪我を負い引退を決意。

 

選手引退後は、犬の訓練とトリマーの専門学校に通い新しい生活を始める。

 

2012年 白川大助コーチから選手復帰のオファーをもらい、2014年ソチ五輪を目標とし選手に復帰。

 

2013年 シーズンイン直前でワールドカップ派遣基準である体力測定をクリアしそのまま渡米。ワールドカップを転戦し、ソチ五輪強化選手に指定される。

FIS THE ASIA OPEN(日本) 優勝

FIS FREESTYLE SKI WORLD CUP Slopestyle(スペイン) 5位(予選3位 決勝進出)

FIS FREESTYLE WORLD CUP Slopestyle(スイス) 5位(予選4位 決勝進出)++movie

FIS FREESTYLE WORLD SKI CHAMPIONSHIPS Slopestyle(ノルウェー) 12位(予選11位 決勝進出)

FIS FREESTYLE SKI WORLD CUP Slopestyle(アメリカ) 22位

7月 ニュージーランドワールドカップの練習中に左膝全十字靭帯断裂。12月までリハビリトレーニングをするが、体力測定基準をクリアできずソチ五輪を断念。

2014年1月 4年後のピョンチャン五輪を目指すため靭帯再腱手術を受ける。

8月 リハビリ中に、所属している若杉高原大屋スキー場の事業であるクレープ販売「クレープKinka」を立ち上げ、選手復帰まで店長を務める。


2015年 ワールドカップ出場のため11月アメリカコロラドにてトレーニング開始し競技に復帰。
FIS Freestyle Ski WORLD CUP Slopestyle(韓国) 15位

2016年12月 スイスで開催されたワールドカップ練習中に負傷。
これまでの度重なる怪我と自身の実力と世界レベルとを見極め引退を決意する。
3月 13年間の競技生活にピリオドを打ち、選手を引退。

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